V6の解散と見送るファンの思考
V6が2021年11月1日に解散しました。
本人達も「解散したことないからさ〜」なんて言っていたけど、私にとっても「推しの解散」が初めての経験だったので、たくさん考えた事を残しておこうと思います。
言わずもがな私は井ノ原坦なので、井ノ原さんにだいぶ偏った思想です。
解散発表とその後
発表があったのは3/12金曜日の夕方。
仕事中にふと見たネットニュースの見出しで初めて知った。
いつもの週刊誌でしょ?と思いながらも様子の違う記事を読んで、トイレに行ってFCを確認した。トイレでちょっと泣いた。
そのまま呆然と仕事を終えて帰り道でもちょっと泣いたりしながら、家についてV6からの報告動画を見た。
これ、すごくいいなと思うのは、ファンて結局本人たちの言葉でしか納得出来ないから、発表のタイミングで本人たちの話を聴かせてくれてとても助かった。
動画では勤めていつも通りに、明るく振る舞いながら、みんなで決めたことだから、前向きな決断だからと話す6人がいた。
それがあまりにいつも通りのV6だったので、なんかちょっと落ち着いてご飯を食べた気がする。
そういえばFullCircleを初めて聴いたとき、トニフィフコンのTLを見たとき、あまりに真に迫るパフォーマンスにちょっと不安になったこととか、25周年サプライズでお通夜みないな空気になっちゃったこととか思い出して、そういうことだったんだなぁなんて思ったりもした。
多分当時はスタッフも知らなかったんだと思うけど、解散を決めている人たちに対してファンに無邪気に「これからも応援します!」て言わせるのかなり酷だよね(笑)
幸い発表が金曜日だったので土日の間は家に引きこもってめそめそしていた。
V6に触れたくて、でも真正面から見るのもつらくて、トニセンの舞台「カノトイハナサガモノラ」を見た。
解散について話し合い始めたのが2019年の春ごろ、この舞台を上演していたのが2019年の夏。
脚本を書いた御徒町凧くんとのワークショップはその1年ほど前から行われていたらしい。
自分たちのアイドルとしての歩みと、男としてのこれからの人生を見つめ直しているタイミングで作られたのが、トニセンの”アイドルとは”に迫る話だったということ。
おそらく他の人たちよりもちょっと近くで3人を見ている御徒町凧が、3人を”何かの縁で同じ旅をしている3つの魂”として描いたこと。
3人がソウルターミナルから抜け出す鍵が、「愛なんだ」だったこと。
この舞台については未だにうまく言葉で表せないんだけと、グループの在り方を見直している最中に「自分たちはアイドルである」ことを再確認するみたいなお芝居をやっていたことがすごく嬉しくて、頼もしくて、おんおん泣いた。
グループが解散してそれぞれ個人として活動することもできたのに、トニセンという形を残す選択をしたことの意味が、この舞台のなかにあるように勝手に感じてしまった。
諦めの悪いファンの都合のよい解釈なんだけど、生まれ変わってもまたグループ組んでアイドルやっていてね。
余談だけど、3/13更新のイノなきはまさにカノトイハナサガモノラだった。
小気味のいいリズムで並べられた言葉は詩だったし、ユーモラスな表現の内側にあるのはアイドルとしての在り方だった(と思う)。
そして、井ノ原さんが何かあるたびにいつも伝えてくれる「此処にいます」というメッセージ。
イノなきではいつも飄々と日常をつづっていてネガティブなことは書かないようにしているんだと思うけど、私たちの悲しみに寄り添おうとしてくれているのがじんわり伝わってきて、アイドルへの覚悟みたいな強い気持ちもすこし滲んでいた気がする。
シンガーソングライターの井ノ原さんなので、イノなきがちょっと詩的で不思議なときはなんか色々考えてるんだろうなぁと思ってしまう。
次の日にはトニフィフコンを見た。
「ある日願いが叶ったんだ」では、「君を守りたい」「君を愛したい」というまっすぐな歌詞と、みんなの願いを受け止めて星にして、キラキラを浴びながら楽しそうに踊る姿を見て泣いた。
V6を守りたかった。わたしにはなんにも出来ないけど。
「星が降る夜でも」では「僕がそばにずっといるよ」という歌詞を聞いて泣いた。
そんな事言っていなくなっちゃうじゃん!!なんて思っていた。
そんな感じで土日の2日間を涙にくれてすごし、日曜の夜に突然「あ、大丈夫かも」となった。
解散を控えたグループのファンとして
これから解散するというグループに望むことってなんだろう。
そりゃあ1番は解散しないことなんだけど、今回はメンバー間に問題があったとかグループ活動ができなくなったとかじゃなく、前向きな決断らしい。
それならば6人の意思はもちろん尊重したいし、新たに踏み出す一歩を応援したい。
でも、こんなに最強で最高で、誰も歩いてない道を切り開いてきたアイドルがいなくなるのだ。
それは「はい、そうですか」と言って送り出す訳にはいかない。
全国民から盛大に惜しまれ、来たる日にはファンの引き留める手を振り切ってグループ活動を終えて欲しい。
「なんか最近見なくなったと思ったら解散してたんだね〜」なんて死んでも言われたくない(こういう見えない敵を勝手に作ってファイティングポーズとるのオタクの悪い癖だと思う)。
だから私は最後の日までヤダヤダ言い続けようと思った。
もちろん6人の意志を受け入れると決めた人も、簡単に受け入れられたなんて思ってないよ。
そもそもアイドルとファンなんて、突き詰めれば提供者と消費者であり、結局他人なのだ。
私たちは解散の話し合いに参加出来ないし、悩みを抱えている時に話を聞くことも出来ない。
私たちにできるのは彼らの選択を受けて、それを受け入れて応援するか、受け入れられずに離れるかだけだ。
その大前提にたった上で、ファンは好き勝手なことを言えばいいと思っている(もちろん最低限のモラルと節度を持って)。そしてアイドルはファンの言うこと全部なんてきく必要は無いとも思う(こちらも最低限の誠意は持っていてほしいけど)。
だけど声をあげなければ、それは思っていないのと同じになってしまう。
アイドルだってビジネスで、需要があるからこそ供給がある。
それを求める人々の声があって初めてアイドルはアイドルたり得るのだ。
それならば、もっと見たいと、いなくならないでほしいと、私達が言わなければ誰が言うのだ!
あと私は、あさイチのMCが交替することになったとき、有働井ノ原柳澤3人が番組内で報告をするなか、カメラの外側で爆泣きするアッキーに救われたという経験がある。
3人が何でもないことの様にいつもの雰囲気で話しているからこちらも笑顔で受け入れなきゃいけないのかなと思っていた矢先、目を真っ赤にして号泣するアッキーが映って、「そうだよねぇ悲しいよねぇ!」と言えた。
みんなが悲しい気持ちを持っているはずなのに、笑顔で受け入れて応援します!って物分かりのいいファンの振りをしていたら、私の悲しい気持ちが成仏できないから。
素直に感情を吐き出して、それを見た誰かも悲しいって素直に言えたらいいなと思った。
でもねぇ。私の自担って、ファンの「幸せでいてほしい」という願いさえも使命に変えてしまうような人なんです。
「僕たちはカメラのないところでも幸せでいなくちゃいけない」と言い切ってしまう男なんです。
だから、こんなインターネットの片隅でも「いなくならないで」という想いを発信していることは、もしかしたら自担の重荷になってしまうかもしれない。
こうなる前から思っていたことだけど、「ずっとアイドルでいてほしい」「ずっとグループがつづいてほしい」という願いは、本人にとっては呪いになっているのかもしれない。
ただ楽しくアイドルやっているところを見ていたいだけだけど、それを本人が望んでいるかどうかなんて、本当のところはファンには分からない。
そう思うと、素直な声をあげることもちょっと躊躇してしまう。
自担の言うことにそうだねーって言っている方がいいのかな〜とも思う。
結局なにが最善だったのかは今も分かんないな。
あさイチと言えば、前述したMC交代の際にも、井ノ原さんは「誰か一人が辞めるんだったら、みんなで辞めたほうがいいとずっと思っていたので」と言っていた。
びっくりするほど今回の解散理由とおんなじじゃないか。
井ノ原さんて歳をとってまとう雰囲気はずいぶん変わったけど、言っていることは昔からずっと変わんないなあと思うことがよくある。
優しくて気遣い上手なみんなのイノッチになっても、根っこは熱い男イノハラのままなんだね。
何がそんなに辛いの?
解散の日まで、V6を何よりも優先しようと決めた。
私か泣き喚いてV6を遠ざけていても解散してしまうのだから、全てを見逃さないよう目に焼き付けたかった。
いよいよツアーが始まるという頃には、それまでハマっていたソシャゲもログインできなくなったし毎期何かしら見ていたいドラマも追えなくなった。
それでも、ツアーが始まってもV6がいなくなってしまうのが信じられなかった。
今回のコンサートも、すごくいつも通りのV6だった。
今の6人がやりたいこと、格好いいと思うものを余すことなく見せてくれたし、会場の隅々まで気を配って気持ちを共有してくれた。
V6って、誰も見たことないもの、新しいものをやろう、周りがじゃなくて自分たちがいいと思うものをやろうという人がいて、一方でついてきてくれる人達の想いを汲みあげようとか、今ある環境に感謝を忘れない人がいて、それらを全部ひっくるめて見守ってくれる人がいる。
道を極めていく姿はとても格好いいけど、どんどん遠くに行っちゃうような気もして、でも6人は必ず振り返って私達に手を伸ばしてくれる。
だから私たちはいつでもV6を近くに感じられたし、新しいものをどんどん取り入れても変わらないものがあると信じていられた。
そう、変わらないと思ってたんだな。V6は。
ファンになる前から当たり前にあったから。
メディアに出る頻度が減っても、6人はいつも変わらずいたから。
だから自分の入れるコンサートが終わって、最後のテレビ出演も終わりいよいよ11月1日の配信を残すのみとなったとき、初めてその先のことを考えて怖くなってしまった。
春に新曲が出てプロモーションがあって、夏と冬には大型音楽特番があって、年末にはカウントダウンがあって(これは出ない時もあったけど)、何年かに1度はコンサートがあって。
そうして日々を数えていたのにV6がいなくなったらどうやって1年を過ごしたらいいんだろう?
V6がいなくなっても私はちゃんと頑張れるだろうか?
そんな気持ちがある日突然わいて、毎日がとても辛くなってしまった。
解散発表の週末の終わりに突然「あ、大丈夫かも」となったと言った。
それは、自担は死ぬわけでもなければ引退するわけでもない、と思えたからだった。
きっと解散後もいまの個人仕事は続くだろうし、井ノ原さんなら今後もお仕事は入ってくるだろうと思った。
それなのになんで今こんなに辛いんだろう。
言ってしまえば私はかなり自担に偏ったファンなので、井ノ原さんを応援し続けられるなら幸せなんじゃないの?
なにがそんなに嫌なの?
一日一日が過ぎていくのがあまりにも辛くて、そんなことをずっと考えていた。
そして思ったのは、私はやっぱり“V6の井ノ原快彦”が好きだったということ。
私の好きな井ノ原さんは、騒がしくて笑い声が大きくて自由奔放に喋って自分の言ったことに自分で笑っちゃうような井ノ原さんだ。
誰よりもはしゃいで盛り上げて、時には悪ノリもするしお酒で記憶を飛ばしたりする、そんな姿は変わらず今回のツアーでも見たり聞いたりすることができた。
それはやっぱり10代の頃から一緒に過ごしていた仲間と共にいるからこそ見れる姿だろう。
実際外のお仕事での井ノ原さんは、穏やかに話を聞きにこやかに受け応える大人の男性というイメージだ。
事務所に入って30年以上、グループでデビューしてから26年のベテランが、そんな心からはしゃいでる姿を今後見ることができるだろうか。
歌やダンスだってそうだ。
私の大好きな、伸びやかで感情豊かで様々な声色があって聴く人に情景を見せてくれる井ノ原さんの歌声。
私の大好きな、ダイナミックで男らしくて時に信じられないくらい格好いい表情を見せる井ノ原さんのダンス。
どれもV6という場所があったから見られたものだ。
それらはこの先、どのくらい見られるんだろう。
結局は不安なのだ。
トニセンが残るとはいえ、V6のように年に1回シングルを出したりはしないだろうし、歌番組だって出なくなるだろう。
もしかしたら個人のお仕事にも、V6が無くなることは影響が出るのかもしれない。
今年の特捜9が大団円の最終回を迎えたこともあって、そんな悪い想像が膨らんでいた。
11月1日のその先で、私はどれだけ自担のことを見られるのだろう。
メンバーはどういうお仕事をしていくんだろう。
V6を好きでいつづけることはできるのかな。
初めての推しの解散だったから、何にも分からなかったから、勝手に不安になっていたんだよね。
勝手に悪い想像をひろげて、推しを丸ごと失ってしまうような気になって、一人で怯えながら最後の日を迎えることになってしまった。
6人の残したもの
そうして世界が終わるみたいな気持ちで迎えた解散の日、正直に言えばラストコンサートの配信が終わった後もまだ実感はなかった。
メンバーから「今までありがとう」と改めて言われるのは「さようなら」と言われているような気がしてまっすぐ見ていられなかった。
このツアーの最後の曲、「95groove」で楽しそうにステップを踏みながら去っていくV6を見て、こんなに美しく終わってしまうのだなと思いながら、その姿を見送った。
なんだかまた来週には別の場所でコンサートしているような気がして、ふわふわとした気分のまま配信が終了した画面を眺めていた。
でもこの日はこれだけで終わらないのだ。
コンサートの二時間後、V6がファンのために作ってくれた世界(!)V-LandでV6最後の映像作品が公開された。
コンテンポラリーなダンスから始まり、最新のCGを駆使した街中で踊るV6。
まさに誰も歩いていない道を歩いてきたV6の姿だった。
最後の最後まで可能性を模索し、まだやれるんじゃないかと思わせて、光の中に消えていく。
こんないちばん格好いいままでいなくなっちゃうなんてずるい人たちだな…。
目を開くと、そこは学校だった。
一人称視点で映されたその映像は、柔らかい光の差し込む教室で目を覚ますところから始まる。
流れているのは「鏡」という、その時に初めて公開された新曲。
穏やかな歌声を聞きながら廊下に出て、導かれるように階段を駆け上がる。
屋上に出ると、きれいな青空のした、遠くに6人がいた。
その場で立ち尽くす自分のところに健君が近づいてきて、手を引いてメンバーの輪の中へ入れてくれる。
見回せば自分をぐるっと取り囲んでいるV6。
井ノ原君が幼い子供をあやすようにちょっかいをかけてきて、長野君や健君が便乗するように近づいてきて、それをほかのメンバーが笑顔で見守っている。
あぁ、V6は私たちのこと、こんなに心配してくれていたのか。
思い出されるのは解散発表のFC動画での岡田君の言葉。
「僕たちの心配は、ファンの方たちがどれだけ悲しむかということだけです。」
残される私たちが悲しみに暮れることが無いように、V6はすべての愛と感謝を伝えようとしてくれているんだ。
解散て、自分たちがやり切って終わり、じゃないのか。
てっきり「僕たちはもういなくなってしまうので、みんなもちゃんと立ち直って幸せになってね」って言われるのかと思っていたのに。自分たちがいなくなった後の、ファンの心の置きどころまで責任を持とうとしてくれているのか。
そのことに今やっと気づいた。
今日までにV6はこんなにもたくさん、ありがとうと大好きだよを伝えてくれていたのに。
その思いはコンサートの演出にもFC会員に送られた家族写真にもファンが集まれるV-Landにも込められていたのに。
V6の最後をすべて見逃さないと決めたのに、私はただ解散が恐くて勝手に不安になってぜんぜんちゃんと受け取れていなかったなぁ。
僕に出会ってくれてありがとう
これからもずっとそばにいるから
僕にまかせて 君が好きだよ
大好きな6人の歌声が、そう語りかけてくる。
なんて優しい人たちなんだろう。
出会ってくれてありがとうなんて、こちらのセリフだ。
私は物分かりが悪くて好き勝手なことばかり言って諦めが悪くて、”いい子”なファンではなかったのに、なんでこんなに優しくしてくれるんだろう。
こんなにファンを思ってくれる6人に、私は報いることができただろうか。
こんなにも心配して寄り添ってくれる6人のために、私もちゃんと大丈夫にならなければ。
そう思ったら、やっと解散するということを受け入れられた気がして、ボロボロ涙がこぼれた。
すごいなぁV6。
あんなに認めたくなかったのに。
きっと私の様にふて腐れていじけているファンがいることもお見通しで、そういう人たちも全部受けとめて包み込んで、みんなの思いも一緒に本当に綺麗にV6を閉じようとしている。
26年アイドルをやっているとこんなこともできるのか。
こうして私はまたひとつV6の偉大さを知り、V6を失った。
日々は続く
V6が解散した11月1日、この日の最後に健君がラジオの生放送を予定してくれていた。
ラストコンサートを終えて深夜0時から生放送。
誰が見てもハードだとわかるスケジュールに、そんなことまでしてくれるの…と思いながら放送を待っていた。
しかしそこはさすが「悲しいほどにア・イ・ド・ル」の三宅健ちゃん。
突然のインスタグラム開設からのゲリラインスタライブと、ファンの悲しみを吹き飛ばす完璧な段取りを用意してくれていた。
そこにさらに、その段取りをぶっ飛ばす乱入者が登場する。
酒を片手にほろ酔い井ノ原快彦と、ついてきた長野博である。
あんなに涙を流してⅤ6とお別れしたのに、日付を超えてすぐにメンバーの半分がそろってしまった。
健君の後日談によれば井ノ原君は前からこの日の生放送を気にかけていて、当日ライブを見学していた関係者や後輩たちとのプチ懇親会を終えた後にラジオに顔を出してくれたらしい。
いや~~~~~~好きじゃん…………。
人に優しくするのに躊躇しないところ。
やるべきだと思うことを、迷わず実行できるところ。
私の大好きな、愛情深くて男前な井ノ原さんだ。
たまたま一緒に帰っていて、健君のラジオに行くという井ノ原君に一緒に行くと言ってくれた長野君、二人が入ってきたのを見てパッと表情が明るくなった健君。
後輩の挨拶泣けちゃったな~なんて話すのも、挨拶の一言が長いんだよぉ!と文句を言い合うのも、トニセンラジオの新しいタイトルにしょーもな!と爆笑しているのも、V6でいたころとあまりに何にも変わらない。
「あ、大丈夫だ」
今度こそ思えた。
V6最後のオリジナルアルバムに収録されているトニセンの曲を作ってくれた森山直太朗さんがこう言っていた。
ご縁重なり新しい旅立ちを迎えるトニセンに曲を作らせていただきました。歌を聴いて何も終わらないし何も変わらないってそう思えた。 https://t.co/M0C3jBGK9I
— 森山直太朗 (@naotaroofficial) 2021年9月3日
私はこれまで、「目に見えないけどそばにいる」なんて言葉は信じていなかった。
目に見えないならそれはいないのと同じじゃないか。だいいち今はそんな概念的な話で慰められるような気分じゃないんだよ…。
でもこの日このラジオを聞いていて、本当にすんなりと、「V6は終わらない」と腑に落ちたのだ。
6人がV6じゃなくなっても、V6は無くならないし6人は変わらない。
ラジオの最後には、井ノ原君がくだを巻くように「死ぬわけじゃねーから!」と言っていた。
「明日からも生きてかないといけないのよ、みんな。」
そう、生きていかないといけない。
大好きなものを失っても、お構いなしに日々は続いていく。
でも私はもう大丈夫だ。
健君が「これからもV6を愛してください」と言ってくれたこと、坂本君の「またこの景色が見られるように頑張ります」という言葉。
6人がきれいな形で箱にしまってくれたV6は、いつでも私たちの手元にあって眺めることができるし時には中身を取り出して懐かしむことができる。
そうやってこれからもV6を忘れないで愛し続けていれば、またいつか宇宙のどこかですれ違うことがあるかもしれない。また笑い合えるかもしれない。
そう思えたら、明日から生きていく日々も悪くない気がした。
いや~しかし、すごいなぁV6。
ついさっきまで明日が見えないほど悲しかったのに、寄り添って受け入れて笑い飛ばして、最後には雑な感じで背中を叩かれて、気づけばすっかり立ち上がって前を向いている。
解散発表から半年以上かけても受け入れられなかったことを、ここまで何千字もかけて未練がましくつづってきた思いを、たったの数時間で成仏させてしまった。
こんなことができるんだ。
こんな解散があったんだ。
まさかこんな穏やかな気持ちで解散の日を終えられると思ってなくて、それがすごく嬉しくて、大好きだなぁと思いながら眠った。
今、V6が解散してからそろそろひと月が経とうとしている。
私は思ったよりも元気に日々を生きている。
それはV-Landで公開されている膨大なコンテンツや、遅れてきたベストアルバムお名前入り盤などで物理的に忙しくしているせいもある。
でもそれ以上に、V6が今も共にあると感じられているからだと思う。
だって、インスタライブで中居君や井ノ原君に貰ったプレゼントを嬉しそうに見せる健君も、後輩に「うちの三宅君に言ったら怒るよ」と分かりにくい冗談を言う岡田君も、V6とハイソックスの響きが似ているとゲラゲラ笑うトニセンも、驚くほど何も変わらないのだ(森田さんも元気な姿をお友達のSNSで見られたし)。
みんな当たり前のようにメンバーを身内呼ばわりするし、V6だった頃と地続きで生きている。
もちろん今も、V6がなくなってしまった事はとても寂しい。
6人の声が重なってできるV6の歌声や、6人のダンスが合わさってできるV6のパフォーマンスはもう生み出されないと思うと、すごく悲しい。
でも、ファンとV6は鏡だそうなので。
私も6人のように、まっすぐ優しく正しく美しく生きていけるように頑張ろうと思う。
忘れない、諦めない、腐らない、呪わない。
そうやって生きていたら、いつか永い眠りについたとき、もう一度あの屋上に出られる気がするのだ。
だから待っててくれV6。
あきらめることなら いつでも出来る時代さ
だけど僕は 君に逢うまで あきらめない
まさか最後にCan do! Can go!に戻ってくることになるとは。
でもなんかいいな。
26年の活動をやり切って、新しい世界がはじまるのだ。
この先どうなるかわからないけど、なんだか楽しめそうな気がする。
今まで幾度となくV6に助けられてきてた。
そしてV6を失うという最大級の悲しみから救ってくれたのもやっぱりV6だった。
26年間グループが続けられたのは奇跡だというけれど、それならばこの解散も、私にとって奇跡のような体験だった。
私がV6を応援できたのはV6の歴史から見ても、私の人生の中でもわずかな時間だったけど。
でもその短い時間の中で、全力でV6を追いかけて全身でV6が大好きなうちに解散を見届けられてよかったと思う。
26年。
途方もないくらい長いその時間を、V6としていてくれてありがとうございました。
これから歩んでいく道も、どうか楽しく充実したものになりますように。
6人が幸せであるように祈っています。
これからもずっとずっと、V6を愛しています。
だから天国でMUSIC FOR THE PEOPLE踊るときには絶対よんでね。